Mueβiggang ist aller Laster Anfang.(無為は全ての悪徳の始まり)

 
 窓の外は嵐であった。
 窓を雨が激しくたたき、雷はうるさいくらに鳴り響いている。
 鬱蒼とした森に覆われたグリューネベルクは現在、最北端の人間の生存圏である。数年前まではマンハイムという場所があったが、黒貴族に奪われて以来、ここグリューネベルクは光と闇の境目のようになった。幸い、黒貴族は20年前英雄に倒されて以来、なりを潜め、この地は比較的平和であった。
 だが、闇と光の戦いの最前線の地は、珍しく昨日から嵐の只中にあった。
 まるでこれからのことを暗示するかのような天気にエピトードはうんざりした。
「これでは天さえもこの乱痴気騒ぎに浮かれているようだ」
「ほう、貴公に詩を吟ずるような高尚な趣味があるとはしらなんだ」
 エピドートの目の前の客、宰相ディクトールは珍しいといった。
 ターブルロンドは国王レーギスの御世であった。だが、もともと、体が強いほうではなかったが、王子の失踪と気の弱いところがたたり、先日あっけなく亡くなった。王子が失踪したことにより、その王位継承権は唯一の王女フィーリアにある。
「で、どうぞ、王女殿下の様子は?」
「ダメだな。あの王子の妹と思ったが、まるでダメだ。父王と同じく、惰弱だ」
「惰弱ときたか。まあ、おぬしの厳しい目から見たら惰弱そのものだろうて」
 ディクトールの評価は厳しいが的を得ていた。
 王女フィーリアは兄の比べるとその評価は低い。王子そのものの評価も決して高くはなかったが、王子はなんというか韜晦しているところがあった。うまくその能力を隠し、人々を欺いている節があった。しかし、ディクトールは王子の能力の高さを見抜き、その狡猾さ高く評価していた。
「あのような小娘が王位につくとは体制の堕落そのものだ。王位とは小娘がたやすく座れる椅子ではない!」
 ディクトールは声を荒げた。その不条理に怒る姿をエピドートは冷めた目で見ていた。
 エピドートもディクトールも年はそれほど変わらない。同年代であるが、その思想というものには大きく隔たりがあった。
 エピドートはその過去の不幸からディクトールのような世俗に対して思い入れがない。ディクトールのように体制の善し悪しを論ずる気もなかった。世の中の不条理に絶望したことがあったが、それを変えたいと願うほどの強い思い入れも努力もしなかった。同じように年を重ねたが、結局のところエピドートはディクトールのように世俗のなかに何かを見出すことはなかった。それが、富に言動に表れていた。
 ディクトールは過度の努力を信奉するところがある。それがなにも努力せず最高位にいることができる王家の存在などこの男には許せないのであろう。
「では、お主はどうする?このまま行けば、確実に王女が王位につくぞ」
「貴公は私を少し過小評価しておるな。私がなにも手をうっていないと思うか?」
「愚問であったな。お主のことだ、それはえげつないことをするのであろう」
「ひどい言われようだ。私はそこまでひどい人間ではない。あのような小娘の治世を民衆に強いるほうがよっぽどひどいと思うが」
 ディクトールはひどく人の悪い笑みを浮かべた。それが真実であるかのようないいようをもっていた。
 エピドートはこれから起こる王女の不幸をほんの少しだけ同情した。このような暗い怒りをぶつけられるとは王女は思ってはいないだろう。
「私はきっと王家などという腐った体制を破壊してみせる。血筋などに頼り、能力なきものがいばりくさる時代を終わらせる。もはや伝説など不要だ!」
 高尚な考えであり、この男の本質が語られていた。だが、その考えによって虐げられるものが出ることをこの男はなんと思うだろうか。歴史の改革というべきものを痛みとしてこの男は切り捨てていくのであろうか。
「Mueβiggang ist aller Laster Anfangというところか」
「なんだ、その言葉は」
「協会のやつらから聞いた言葉じゃ。異国の言葉らしいが、確か無為は全ての悪徳の始まりとかいう意味であったか」
「いい言葉だ。無為な王家なぞこの世から消してやろう!」
 ディクトールは高笑いをした。
 無為は全ての悪徳の始まり。害がないことがかえって害となる。その真理はこの世になにを示すのであろうか。
 柄になく、エピドートはその言葉の意味が気になった。
 これから始まる復讐とも言える変革はこの男の改革かそれとも神話の再確認かそれともすべてが無為だと笑うのであろうか。
 その答えは、この嵐のように未だその結果を見せなかった。