Keine Rose ohne Dornen.(棘のない薔薇はない)

 
「報告はいいわ。それよりも実績を示してちょうだい」
 玉座に座る少女は提出した書類を階下の臣下に投げた。書類はバラバラと階下のひざまづく執政官に降りそそぐ。
このような行動をされて頭にこない人物はよほど人ができたひとだろう。
 玉座の少女――フィーリアは眼下の執政官の表情を伺った。しかし、頭をたれ、その表情は見えない。
 フィーリアは、一年前、王の試練という王位継承戦争を戦った。戦争といったが、直接武力を用いたわけではない。協会による工作で、平和的に、決闘や工作といったものを用いることを提案された。……そう、提案されたのだ。
 フィーリアは協会の意図を早くから見抜き、そして提案に含まれていない方法で玉座についた。
「ねえ、ヴィンフリート。私、先日庭を散策していたの。もうすぐ薔薇のシーズンですし、早くを起きて見に行ったの。そうしたら、薔薇が枯れていたの。驚いて庭師を呼んだら、庭師曰く、『害虫にやられたのですね』ですって。どうして害虫がきたのと問うと、害虫を食べる動物が減ったから害虫が異常発生したというのよ」
 ヴィンフリートは思わず顔を上げてしまった。フィーリアはヴィンフリートと目が合うと優雅に微笑んだ。その微笑は蕩けるようで甘やかのものだった。だが、ヴィンフリートは心臓を鷲掴みされたように冷たいものがかけめくった。
 フィーリアの目は笑っていなかった。多くのものはこの微笑に騙され、土の下という暗い底に辿りついている。ヴィンフリートは勤めて、そしてなるべくその視線から逃れるように下を向いた。
「ヴィンフリート、私はただ、世間話をしているのよ。別に他意はないわ。皆のように私から目を反らさないでちょうだい」
 しかし、ヴィンフリートは顔を上げることはなかった。それは恐怖から逃れるためという理由もあるが、一番はヴィンフリートの思い出が汚されたくなかったからだ。ヴィンフリートの中に微かに残る優しく無邪気に笑うフィーリアの思い出。それはこの目の前の少女(フィーリア)が優雅に微笑むたびに一層、美しくおぼろげになっていく。
 一年におよぶ王の試練はフィーリアの心を荒廃させた。その荒廃はずっと側にいたヴィンフリートにさえ分からなかった。それほど急激に、劇的に変わってしまった。フィーリアは協会の提案に含まれていなかった方法で玉座をつかんだ。
 暗殺。協会はそれを提案には含まなかった。しかし、肯定はしないが、黙認はしているというあいまいなグレーゾーンの方法。フィーリアはそれをだれよりも効果的に使ったのだ。
「私は薔薇が枯れるのは悲しいわ。せっかく綺麗に咲いたのだもの。害虫はなんとしても駆除しなければ。そう思わなくて、執政官殿」
「すべては、陛下の御心のままに」
 ヴィンフリートは抑揚のない声で、立ち上がり最高礼の形をとった。フィーリアはヴィンフリートの行動に満足したのか、玉座から降り、ヴィンフリートに抱きついた。
「うれしいわ、ヴィンフリート。あなただけは変わらず、私を愛してくれる。まるで、色あせした薔薇でも愛してくれるようね。私、あなたのそのまっすぐなところ好きよ」
 フィーリアは睦言を囁くように恫喝してくる。
 脅しと愛。この二つはけっして離れることはないものかもしれない。どんなにフィーリアが変わろうとも、ヴィンフリートがフィーリアを愛してしまうことと同じようで。
 ヴィンフリートはフィーリアの手をとり、口付ける。そして、フィーリアに踏みつけられた書類を拾い退出しようとした。
「陛下。先ほどの話の薔薇は何色だったのですか」
「白の薔薇よ。白の薔薇はすべて枯れてしまった。そう、すべてよ。色落ちしたものも枯れかけていたものも美しかったものすべてね。あとに残ったのは血の色のような真っ赤な薔薇だけよ。すこし、寂しい気がするけれど、赤だけの薔薇園もすてきなものよ」
 フィーリアはまたさきほどの微笑を浮かべた。ヴィンフリートはその微笑を目の端で確認すると深々と頭をさげた。
「結果は来週中にお伝えできると思います」
「楽しみにしているわ。また、世間話でもしましょう。執政官殿」
 重くドアが閉まる音がする。フィーリアはくるりと回り、玉座を眺める。
 玉座は薔薇の花のようだ。妖艶に人を魅了する。しかし、触れたら最後その棘で必ず触れるものを傷つける。すでにフィーリアはおぞましい手段でその薔薇を取った。これから、多くの血が流れる。その尊き血は薔薇を手に取るために、先に流したフィーリアの血に混ざる。
「ねえ。肉体は死んでも血は私と一緒よ。嘆くことはないわ。血河(かわ)となってこの国に注ぐのだから満足でしょ」
 フィーリアは玉座に向かって無邪気に微笑んだ。