Selbst ist der Mann.(自分でするのが男である)

 
 また、逃げてしまった。ヴァルターは盛大なため息をこぼした。
 すでに、夜半を過ぎた時間であり、王宮の廊下には人っ子一人いない。それが、ヴァルターにとっては一番の救いだった。これが、あの侍女殿に見つかったりでもしたらどんな小言を言われるか分かったものではない。その姿を想像しただけでヴァルターは薄ら寒いものが背筋を駆け抜けた。世の女性が姑を忌避する気持ちがそのときだけはわかった気がした。
「あら、ヴァルター殿。こんな時間にどうしたのですか?」
 背後からした声に驚き、思わず腰に手をやった。しかし、そこには剣はなく、そういえば王女の部屋に置いてきてしまったこといまさらながらに気づいてしまった。目の前にいたのはこめかみに怒りを浮かべた侍女殿と腹を抱え、笑いをかみ殺しているグイードと今一番会いたくない二人だった。
「親衛隊長としてはいい判断ですけど、もう少し余裕をもって行動していただきませんと大変なことになりますよ」
 腰に手を当て詰め寄られ思わず後ずさりをしてしまう。その姿をみて、ますますつぼに入ったのか、グイードはにやにやしている。恨みがましくヴァルターは人生の先達を睨んだ。
「確か、ヴァルター殿は姫様にお部屋にいらしたのではありませんか?ヴァルター殿がここにいるとはまさか……姫様を置き去りにしてきたのですか。許せませんわ!」
「まあ侍女殿、詰問はそのくらいで」
 ヴァルターの視線をかわしながら、すかさずフォローを入れるところはさすが恋の達者と認められるグイードであった。しかし、状況が好転するわけではなく、依然戦況は悪かった。
「お前のことを知らんわけではないが、侍女殿のいうとおり男として貴婦人の前から逃げ出すのは、どうかと思うぞ」
「わかっている。だが、殿下の前にいるとなんというか、息ができなるというか、頭が働くなるというか緊張してうまく行動できんのだ。殿下が笑ったり、すねたりする姿を見ているとどこでもかまわず抱きしめたくなる。なにをしていてもかわいらしくて、物書きをしているときとか、臣下から報告を聞いているときとかちょっとしたことに息を呑んでしまう」
 ヴァルターの告白に二人は顔を見合わせた。そして、グイードはヴァルターの肩をぽんとたたくと耳元でこっそりと話した。
「殿下は聡明なお方だ。お前の緊張も分かる。このまま、殿下を一人にしてみろ、殿下の周りには有能な執政官や幼馴染の騎士もいる。殿下はお前に拒否されたと思って彼らに泣きつき、そして……」
 ヴァルターの血の気がサーと引いていくようだった。その百面相をグイードは確認するとだめ押しをきめた。
「お前捨てられるぞ」
 グイードのことばを聞くか聞かないかわからないうちに廊下を走りだした。
「やっぱり、グイード殿の言葉は利きますわね。それにしてもヴァルター殿ときたら……」
「まあな。それなりのことは歩んできたんでな。ヴァルターのやつ、ああ、ぬけぬけとのろけを言える。一人身としてはうらやましいかぎりだ」
「まあ!恋の狩人らしからぬことばですわ。今夜は私がとっておきでおもてなしをいたしましょう。それに私、グイード殿の“それなり”のほうに興味がありますわ」
 グイードの腕をがっしりと捕まえるとエクレールは兵舎の方に引きずられるように連行した。
 弱点を克服するのは辛いことだ。しかし、ヴァルターとフィーリアならうまく弱点を克服することができると思う。エクレールに連行されながらグイードはヴァルターの前途を祈った。
「男なら自分で問題を解決しろよ。俺も今夜がんばるよ」
 フィーリアの部屋の方を見やりグイードは今頃繰り広げられている二人の会話を想像して思わず笑った。