断絶クロニクル3

 
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 「エヴァンジル、お願いがあるのです」
 フィーリアはエヴァンジルがスケッチに来た初日、取引を持ちかけた。
フィーリアの取引内容にエヴァンジルは驚いているようであった。
 無理もない。
憎いと思われている男とともに自らを描けと言っているのだからだ。
フィーリアの心情を図りかねたエヴァンジルであったが、遂にはフィーリアの願いを聞くことにした。
 デッサンをしているとき、いろいろな話をした。
大体は、五年前の思い出であり、それ以外はフィーリアの幼少期の話がほとんどだった。
 エヴァンジルとしては、本当はこの絵について聞きたかった。
なぜ、敵と言えるディクトールとともに自らを描くのか。
 だが、エヴァンジルはそれを問うことはなかった。
おそらく、フィーリアは語ることはないだろうし、なによりフィーリアは答えたくはないと思われた。

「エヴァンジル、この絵の真意を聞きたいですか」
 突如、かけられた言葉にエヴァンジルは思わず筆を止めた。
「ええ、お聞かせ願えるのなら、是非とも。」
 なるべく、動揺を悟られないように、また筆を動かし始めた。
「以前申したとおり、これは私の復讐でした。
 これはあの人が望まぬ形で、歴史に名を残すことができます。
 あの人にとっては、私を愛したなどという妄言が歴史に残るなど屈辱以外にありませんもの。
 でも、これは私にとっても罰を与えてくれるものでもあるのです。」
 フィーリアは自らの真意を口にしながら表情はなに一つ変わらなかった。モデルとしては有能なくらい動かず、変わらない。
「私は誰かに望まれることを願っていました。
 それが、王位でも、女としてでも、何でもよかったのです。私は、ただ誰かの瞳に写っていればよいと思っていました。
 存在を認めてくれればよいと。ですが、私は実は愛されること以上に誰かを愛することを願っていました。
 強く望み、愛する、この絵のように誰かの一人になりたかった。私は、結局、王位を得ることはできませんでした。
 王位にいれば確かに強く望まれますが、一人の人を愛するわけにはいきません。
 私は、自らの心に負けました。恐ろしかったのです。そのように誰かだけを見続けることができなくなることが」
 王女は賢すぎたのかとエヴァンジルは判断した。
 同時に幼くもありすぎた。
フィーリアが奔放であれば、王位についたのち誰でもいい伴侶を愛せばいいのだ。
確かに、国の柱たる王がひとりだけを寵愛することは好ましくはない。伴侶を得たからと言って、その愛は広く公平でなければならない。
 だが、どれくらいの王がそのことを実践しているだろうか。
適当に理由をつけて弁明しているものがほとんどだ。
 フィーリアは、王となるにふさわしい人物だと思われる。聡明で、自己を規律するという点だけをみてもなかなか得ることはできない。
「私は、王の試練に負けて、あの人の妻になりました。
 それは、ある意味一人を見続けることが許されることになったのです。
 しかし、私は与えられることを願いながら与えられた人を愛することはありませんでした。
 皆は、あのようなことがあって愛する余地などないと思いますが、私はそうは思いません。
 私を殺して然るべきなのに幽閉という温い形をとった。優しいひとだということは分かっていました。」
 フィーリアは手の中のハンカチを握りしめた。
 王の試練はフィーリアを妻にすること以上に意味のあるものとなった。
 権威を得ることもさることながら、ディクトールにとっては自らの能力は決して権威だけのものではないという証明となった。
すでに負けた身のフィーリアには政務能力はないとみなされた。
そんな女を殺しても問題はない。妻などにせず、国家を混乱させた罪として処刑してしまえばいいのだ。
国家が混乱していたのは事実であり、それを示すように小規模ながら他国の侵入や疫病が流行った。
それを口実にフィーリアを処刑しても庇う人間がいかほどいるか。
 だが、ディクトールはフィーリアを妻にした。
フィーリアを妻にすれば、王位は得やすいが、そんなことは今となれば実力でどうとでもなる。
ディクトールはフィーリアを妻とすることである意味フィーリアの安全を守ったと言える。
 誰からも評価をされないことを平気でやれる人だとフィーリアはこの試練を通して気づいていた。そうでなければ、もっとこの国は試練の間荒れていた。
 ディクトールは国家というものに殉じようとしていた。
 それはディクトールの人生が国家のために空費させられたことから始まり、
それしか見ることはできなかったディクトールの視野の狭さがこの答えを選ばせた。
国家のためなら簡単に罪も罰も被れる人だった。
「あの人の能力の高さも優しさも私は愛すべき点だということはわかっていました。
 そして、私を見てくれないこともわかっていました。
 私は何も努力しようとしなかった。
 もはや、愛というものに疲れ果てて私はこれ以上辛い思いをすることがいやでした。
 それ故に、私もあの人を無視していたのです。
 私は、黙ってこの運命を受け入れたわけでもなく、ただなかったことにしようとしたのです。
 私は身勝手な女です。いつもないものねだりをしてばかり。
 何も努力をしないものに神は何も与えてはくれないのに」
 エヴァンジルは絵を描く手を止めた。
筆をテーブルに置くと、表情を変えず、自分を辛辣に評価する女性の手をとった。
「自分を責めるのはお止めください殿下。
 あなたは身勝手な女と評していますが、決して努力を放棄なさるお方ではありません。
 一年に及ぶ王の試練も乗り越えたではありませんか。
 あの試練のとき付き従ったものは誰一人殿下が努力していないとは思っていません。
 あなたが自らを卑下なさることはあなたに付き従ったものたちの誇りを汚すことです」
 エヴァンジルは語気を強めた。
「殿下、私はきっとあなたの願いを叶えて差し上げます。
 殿下の願いは現実で叶うことはなかったかもしれません。
 しかし、私が絵のなかで殿下の願いを叶えて差し上げます」
 

 エヴァンジルが描いたもの。
 それは結局、現実には描かれることのなかったもの。
 この絵のようにフィーリアとディクトールは二人並ぶことはなかった。この絵のように幸せそうに微笑みあう夫婦となることはなかったのだ。
「これは、私に対しての当てつけか」
 ディクトールはフィーリアを睨みつけた。
 その憎悪のまなざしは普通のものならすくみ上がるほどのものであった。
 フィーリアは微笑んだ。そして、絵画に手を伸ばし、いとおしげに触れた。
「これは、あなたへの当てつけではありません。
 これは、こんな運命しか用意できなかった歴史に対しての復讐なのです。
 もはや、私は長くありませんわ。
 あなたは迷惑かもしれませんが、妻として、王妃として、女としてなにもすることはできません」
 フィーリアは目を閉じた。
 思えば、このときに至るまで自分は何をしてきたのだろう。
 王女として生まれたが、結局、何もしなかった。
ただ、黙ったまま生きてきた。それは、人形と変わらない。人として生まれた以上何かを残したかった。
「この絵はきっと後世まで残るわ。薄命の王妃を唯一伝えるものとして。そして、あなたは私の夫として歴史に残る」 
「だが、私がこの絵を破棄すれば、お前の企みは潰えるぞ」
 ディクトールは脅した。
この絵を破棄することなどディクトールには容易い。
フィーリアの死を待たずとも今、この部屋の暖炉にでも放り込めばよい。
「いいえ。あなたは、この絵を破棄なさることはないわ。
 この絵は歴史に残る。
 私たちは夫婦になることはなかったけれども、歴史では夫婦となるわ」
 フィーリアはこの絵を持ってして、歴史に復讐をする。
 フィーリアとディクトールは真実、夫婦と呼べるものではなかった。
 しかし、時はながれ、今も遠い昔になればどうであろうか。
 この絵しか残っていなければ、後世の人は推察するであろう。
ディクトール王とフィーリア妃は愛し合っていたのであろうと。絵の中の二人はこんなにも幸せそうなのであるのだからと。


 
「これで満足か」
 絵を椅子の隣に立てかけ、ディクトールはベットぎしに座り、フィーリアの髪を梳いた。
「ええ、満足ですわ。最後に妻としての役目を済ませました。それにあなたのその顔を見れただけで十分ですわ」
「いま、私はどんな顔をしている」
「まるで、いとおしい妻を見るような顔をしていますわ。穏やかで、嬉しそう」
 フィーリアはディクトールの手に身を委ねた。その瞳から涙が零れていた。
「すこし、眠りますわ。こんなに話したから疲れてしまいました」
 フィーリアは目を閉じた。
先程からひどく身体が重かった。このまますぐにでも深い眠りに落ちそうであった。
「眠るまで、そばにいてくれませんか?」
「ああ。眠るまでそばにいよう」
 初めて、ディクトールが自分の願いを聞いた。
 フィーリアは閉じられた瞳から喜びの涙を流した。
 もっと、早くこうしていればよかったのだろうかとフィーリアは思った。
しかし、もはやこれ以上何も考えることはない。この幸福の中に身をゆだねられるのだから。
そして、意識が途切れるまでフィーリアはほほの触れるぬくもりを感じていた。





 ノーストリリアにある宝物庫にかかる一枚の絵。
それは、多数の美しい絵を描いた画家エヴェンジル作の「ディクトール国王夫妻」と呼ばれている。
この絵は、歴史のかなたに消えたターブルロンドを知る数少ない史料であり、そして、薄命の王妃を愛した王が残したものとして今も語り継がれている。
 

あとがき

 なぜかこんなに長い話になってしまいました。自分でもよく分かりません。
もっと、ディクトール側の心境も描きたかったのですが、それはまた今度にします。
ゲームの方での、EDが二種あり、おじさまながらかなりの待遇です。この二人で明るい話を書いてもみたいです。