断絶クロニクル1

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 協会の総本山、ノーストリリアの宝物庫には、数多くの名品が納められている。
宝物庫の中は、歴史書に名を刻む国々の遺品というべき品が所狭しと並び、悠久の時の流れを感じさせる。
だが、数々の品の中でも宝物庫の一番奥に特別にあつらえられた部屋のものは別格であった。。
 その部屋は、俗に薔薇の部屋と呼ばれていた。
薔薇の部屋には、歴史書に残るターブルロンドという国の宝物が収められている。
かの国は、騎士の国にふさわしく、そのほとんどは甲冑や剣などの武具が中心で、絵画でも騎士にまつわるものであった。
 しかし、その部屋で一番目を引くのは、それらのものではない。その部屋の一番の奥の壁にかけられたもの、普段は赤い布で隠されたものがあった。
 

 こほこほと部屋に咳が響く。
 部屋には暖炉があり、そこには火がともされていたが、エクレールは寒かった。エクレールは、椅子に座り、じっと主の手を握っていた。
 エクレールの主、フィーリアは五年前、王位継承の争いに敗れた。
憎き宰相ディクトールは、フィーリアとの婚姻により、王位につくと、用済みと言わんばかりに妻となったフィーリアを幽閉した。
打ち捨てられた古城に幽閉されたフィーリアは誰も訪れることのない日々を五年続けた。
その間、夫となったディクトールはフィーリアのもとを訪れることもなく、あろうことかほかのものと会うことまでも禁止していた。
執政であったヴィンフリートは言うに及ばず、引退したシルヴェストルにも会うことはできなかった。
身の回りを世話する最低限の人間だけを与え、ほぼ軟禁生活を強いられても、フィーリアは愚痴の一つも零さなかった。
寂しい生活の中でも、王女としての気品は失わず、どこまでも清く気高くあった。
 だが、その彼女にも死が訪れようとしている。
 発端は、ただの風邪だった。王宮にいた頃なら何もなかったかもしれない。
しかし、フィーリアの病はどんどん悪くなっていった。ついには、血を吐くまでに至った。
フィーリアが病に倒れてから、エクレールは何度も手紙をディクトールに送った。医者の手配とフィーリアをもう少し顧みるようにと。
だが、ディクトールの返事はなかなか来なかった。そうこうしているうちにフィーリアの容態は悪化していった。
業を煮やしたエクレールは危険を承知で、ヴィンフリートに手紙を書いた。
 ヴィンフリートが最後の望みだった。
手紙を出してから二日後、ヴィンフリートは闇に紛れてやってきた。
これが危険なことだと分かっていても彼にも止められぬ思いがあったことをエクレールは知った。

 フィーリアの部屋に通されたヴィンフリートは驚愕した。
医学の知識のないヴィンフリートの目から見ても、フィーリアの状態がよくないことは察せられた。
エクレールの話では、吐血をしていたということだが、もしかしたら流行病かもしれない。
 病状の重さより何より苦しそうに息をするフィーリアは痛ましかった。
すぐさま、持ってきた薬を飲ませたが、効果のほどは期待できなかった。
ヴィンフリートはもってきた薬をエクレールに渡すと、すぐに王宮に帰り、国王ディクトールに謁見した。
この謁見は秘密裏に王女に会いにいったことを暴露することであり、処断されることを覚悟の上だった。
ディクトールもヴィンフリートの報告を聞くまで、フィーリアの容態がそこまで悪いとは思わなかったようである。
 しかし、ディクトールはヴィンフリートの報告を聞いても、分かったとしか答えなかった。
 
 それからまもなくして、国王ディクトールが数人の宮廷の医師たちを伴いフィーリアのもとに訪れた。
 しかし、なによりエクレールが驚いたことはディクトール本人が現れたことであった。
改革を推し進めるこの大事なときにディクトールが直接足を運ぶことは考えられなかった。
「よく、姫様のもとに顔を出せましたね。姫様がこうなったのも全部あなたのせいですわ!」
 エクレールは力いっぱい詰った。
 ディクトールはエクレールを無視して、フィーリアの部屋を目指した。エクレールはディクトールに追いすがろうとしたが、随員の兵士に取り押さえられた。
 
 ディクトールが部屋に入ると、五年前にあったきりの王女がベットに横たわっていた。
最後にあったのは、結婚式のときであり、まだ16歳であった少女は美しく成長していた。
すぐにつれてきた医師に診断するように命じた。医師たちはてきぱきと準備をし始めたのでいったんディクトールは客間にひいた。
 一時間後、医師団代表の初老の男が報告にきた。男のその表情からもあまりよくないことが察せられた。
「まことに申し上げにくいことですが、王女殿下の容態はよろしくありません。
侍女殿の話では風邪を召されていたとか。おそらく、風邪で体力が落ちたところに、流行病になったのではないかと思われます。
体がだいぶん衰弱しておりまして、何より肺を病んでおります。」
「して、王女はいつまで持つ」
 ディクトールは長たらしく説明をしようとする医師に核心を尋ねた。  
「このままではもって一ヶ月ほどかと思います。しかし、もう少し暖かい場所に移し、処置を続ければあるいは…」
 ディクトールは医師を下がらせた。フィーリアが助かるか助からないかそれだけがディクトールの関心事であり、それ以外の説明は必要でなかった。
 ディクトールは一人でフィーリアの部屋に訪れた。もはや、彼の目から見てもフィーリア助かることはない。
このまま、苦しんで死んでくれる。
 ディクトールはフィーリアの頬に触れた。このように直接、触れたのは初めてだった。
 不意にフィーリアの瞳が開けられた。熱のせいであろうか虚ろなフィーリアはディクトールの顔をしばらく眺めていた。
「お久しぶりです、ディクトール。元気にしていましたか」
 フィーリアはかすれ気味の声を発した。
「私の心配ではなく、自分の心配をしたらどうだ。お前はもうすぐ死ぬ。恨み言の一つも言わんでいいのか」
 フィーリアはディクトールの答えにクスクスと笑った。そして、頬を触れる手を自らの手と重ねた。
「私が言わなくともエクレールがその分言ってくれていますわ。だから、もう十分です」
「確かに、侍女殿はやかましく吠えておったわ」
 フィーリアは目を閉じるといとおしげに頬を手に摺り寄せた。
「手が冷たくて気持ちがいいです」
 ディクトールはその言葉をきいて、手を頬から離そうとしたが、フィーリアが離してくれなかった。
「私は死ぬのでしょ。最後ぐらい妻のわがままに付き合ってくださいませんの」
「誰が、妻だ。五年も打ち捨てられていてまだ妻だと思っていたのか」 
 フッとディクトールは鼻をならした。
 愚かだ。この女は本当に愚かだ。今まさに、死のうとしているのにまだディクトールに縋ってくる。
「縋っているのは私ではなく、あなたですよ」
 まるで、ディクトールの心を読んだかのようにフィーリアは答えた。  
「あなたは、本当に優しい人です。もっとひどい人なら私は恨むこともできたのに。
なぜ、最後になって会いに来てくれたのですか。最後に会いに来るなんてそこまで私が憎いですか。私が衰弱し、死ぬ様をお笑いにきたの」
 フィーリアの目から涙が零れた。
 彼女も愛されたかったのか、ディクトールは涙を見てそう感じていた。
 誰にも注目されず、その身を終わることはずであったはずが、兄の失踪によって否応なしに表舞台に立つことを余儀なくされた少女。
彼女の心情はどのようであったのだろうか。無理やり表舞台に立たたされ、権威を落とされ、その権威を落とした男の妻になることは屈辱であっただろう。
王族であったことを呪ったかもしれない。
ディクトールの人生は王家に尽くしたことで枯れたが、フィーリアは王家に生まれたことによって枯れようとしている。
どちらも儚いものによってその身を終わらせる。だから、彼女の涙は美しく感じるのだろうとディクトールは心の揺らめきを納得させた。
「そうだ。私はお前が野垂れ死ぬのを見に来た。
無様な死ぬ姿を見られればよいと思った。
だが、今日お前に会い、衰弱する姿を見るにその死に絶える姿を見てみたい。最後に妻としての役目を果たせ。」
 ディクトールはわざとはき捨てるように言った。
その言葉が、もはや自らの動揺を隠していないことは分かっていた。
もはや優しい言葉など意味はない。今さら、労わるような言葉をフィーリアは望むまいし、なによりディクトールの矜持がそれを許しはしないだろう。
 フィーリアはディクトールの言葉にコクリと頷いた。そして、ディクトールは兵士を呼び、フィーリアを王宮に連れ帰った。