ささいな喧嘩

 
「これはどういうことかね。ご説明いただけますかな?女王陛下」
 ディクトールは、目の前で憤慨まじりに拗ねている主君にこの現状の説明を求めた。
 執務室は、何かが暴れたかのように書類だろうが調度品であるがところかまわずものが散乱し、折角綺麗に仕分けされていた重要書類までものが無残に床にぶちまけられていた。
 無残な惨状を見て思わずディクトールは、溜息をついた。
 王の試練にディクトールは負けた。その後、ディクトールは、処刑やむなしの状況であったのだが、なぜかフィーリアに求婚され、女王の夫という役職についていた。夫という立場を役職というのも変であるが、今の関係を表すにはピッタリとした表現が見つからずにいる。
 求婚された当初は、陰謀か策略かと眠れない日々が続いたが、役職だと思えば納得がいった。
要はディクトールという人間の能力を欲し、それを繋ぎ止める方法として夫いう役割が一番最適であり、もっとも効果的な対外的な理由であるとディクトールは結論づけた。
王の試練で争った仲なのだ。それを今までどおり宰相という立場では、具合が悪い。故に女王は、自分を伴侶としたのだとディクトールは判断した。
 夫とされた理由が検討ついてからというものディクトールは政務に本格復帰し、フィーリアを女王とするために計画を練り、着実にその成果を上げている。まずとりかかったことは、この女王の執務室であり、それは今や、政治の要塞のごとくなっていた。
 エクレールに言わせれば、飾り気もない、つまらない部屋にさせられたと抗議されたが、これほど効率と利便性に優れた部屋はない。書類、書簡類は、重要度に応じて、整理され、参考文献となる書籍類は、項目ごとに書棚に並べられていた。
 しかし、目の前の執務室は、ディクトールの理想郷とは程遠いものになり下がっていた。
 そして、この現状を作り出したであろう張本人は、ディクトールに背を向け、優雅に窓の外を見ながら、お茶を飲んでいた。
「無視しないでいただきたい!」
ディクトールは、フィーリアの眼前に回り込んだ。
 フィーリアは、視界を遮られてしまって、やっと不快にげだがディクトールを見上げた。
「ちょっと、八当たりをしただけよ」
 出てきた言葉は、子供の言い訳以下の内容にディクトールは、ますます怒りを募らせてしまった。
「八当たりだと。誰がこの部屋を片付けると思っているのか!」
「……おそらく、私ね。目の前の王配閣下は、手伝ってくれそうにないもの」
 やれやれと肩をすくめ、また、フィーリアは、優雅にお茶を飲んだ。
 その態度にますます憤慨してディクトールは怒鳴ろうとした。
 だが、ふと机の脇にあったゴミ箱のものに目が行った。拾い上げると手紙らしく、くしゃくしゃになっていた。部屋の状態から見てフィーリアにやつあたりになったらしく、重要な手紙であったら困ると思い、ディクトールは拾い上げた。
「見ないで!」
 フィーリアは、ディクトールが拾い上げたものを取り返そうと手を伸ばしたが、ディクトールの長身に阻まれた。必死に取り返そうと、ぴょんぴょんと跳ねている、細君を尻目に、ディクトールは、くしゃくしゃになっていた書簡を広げた。
 書簡を広げられてしまうとフィーリアは途端にシュンとなり、ディクトールは、丹念にその内容を読むことができた。

 ごきげんよう。フィーリア女王陛下。
先日は、宮中での晩餐会、大変楽しゅうございました。
ターブルロンドは、先年の王の試練から立ち直り、ゲルツェンとしても頼もしく感じております。
近年、ゲルツェンの国情も不安定であり、リリアとしても心細く、女同士のよしみ、手で助けしていただければ幸いです。
さて、お話は変わりますが、王配閣下との仲はいかがですが?私は、王配閣下とは、昔馴染みでした。もし、陛下がお望みでしたら、いろいろ御話をさせていただきます。王配閣下は、奥手でいらっしゃいますが、かわいらしい一面も多くございます。是非とも、陛下にお教えしたいと。
では、ご用命の際は、是非とも私をお呼びください。
                                                                                   ゲルツェン王妃 リリア


 手紙の内容を見て、ディクトールは、思わず絶句した。
「……この手紙を信じたのか!」
「声が動揺しているわ。本当なのね…」
「そんなわけあるか!」
 ディクトールは、思いっきり否定した。声が動揺の色を出しているのは、この事実無根なことを書き連ねられていることである。
 確かに、間者として使っていた手前、長い付き合いでもあるが、それは仕事であり、男女の仲というものになったことは一度もない。それどころか、ミザリィを女性として見たことすらなかった。
 ディクトールは、溜息をつきそうになった。
 しかし、寸でのところでその動作を留めた。為政者は、溜息をつかれることを極端に嫌う。上位の人間にとって落胆されることは恐怖であり、こんな些細なことでフィーリアを傷つけることは、ディクトールの本意ではなかった。
 ディクトールは、膝をつき、同じ目線となった。そして、今にも泣きそうなフィーリアの頭を優しく撫でた。
「怒鳴って悪かった。だが、この手紙の内容は、事実無根のデタラメだ。信じる必要はない。それにこれは、ミザリィの策略、それに私たちがまんまと乗せられる必要がどこにある?」
 ディクトールは、これまでに出したことのない優しい声でフィーリアをあやした。それは、根気のいる作業で、しかし、今、この作業を怠れば、大事になることは必然であった。
「でも、…」
 フィーリアは口ごもった。まだ、納得していない様子である。
ディクトールは、最後の手段としてフィーリアの耳許で囁いた。
「それに、私がそなたを愛しているのは、そなたが一番、知っているのではないか?毎晩、私の腕に抱かれていて分からないか?」
 その言葉に、フィーリアは顔を赤くした。夫婦である以上、そういう仲であり、まだ年若く、普段そういうことを言わない人物から聞くので、気恥ずかしそうにフィーリアは俯いた。
 一方、言ったディクトールも顔には、出さないものの内心はフィーリア以上のものであった。
「あの手紙は…」
「事実無根だ。信じるに値しない」
 はっきりとした口調で否定したディクトールに、安堵の表情を浮かべ、フィーリアはその胸に飛び込んだ。
 しっかりとフィーリアを抱きしめたディクトールは、目の端で件の書簡を睨んだ。そして、くしゃりと握りつぶすと自分のポケットにねじ込んだ。あとで念入りに処分しておかなければならない。
 くだらない嫉妬と思うのだが、悪くはない。ここまで心配されてしまっては、ディクトールも得意の厭味もなく、ただただ、フィーリアを心配させたくない一心になっていた。
「さて、女王陛下。部屋の後片付けをしなければならんので、そろそろ離れてほしいのだが」
「手伝ってくださいますか?ディクトール」
「ああ、私でよければ」
 フィーリアは、顔を上げ、にっこりとほほ笑んだ。そして、ディクトールの頬にキスをし、「ありがとう」と囁いた。


あとがき

 甘い。のひとことにつきます。書きながらおかしくなりそうでした。
最近、悲しい話ばかりで、甘い話とは、無縁でしたので、身もだえ状態です。
誕生日の記念なので、少々、宰相さまにいい思いをしていただきました。
これは、偏に誕生日のなせる業です。