惨劇のイントレランス

 教会の鐘が高らかに鳴り響く。

 その澄んだ音色とは裏腹に花嫁の顔色は暗く沈んでいた。
一年前、先王が亡くなったことから始まった王の試練というターブルロンドの内紛は誰もが予想したとおり宰相の勝利で幕を閉じた。王女フィーリアは誰の目から見てもよくやったと思う。
 だが、結局は年の功と経験に負けたのである。敗者である彼女にどんな運命が待っているかは分からない。確実に言えることは、敗者の必定とも言える運命しか、もはやフィーリアには残されていないということであった。

 コンコンとヴィンフリートはドアをノックした。どうぞと部屋の中から返事が返ってきた。ドアを開けると日の光に包まれた美しい花嫁が、俯いて座っていた。

 雪のように白いウェディングドレスを身に纏ったフィーリアは美しかった。伝説の騎士王の妻、オクタビアのように絵画にフィーリアを描けば、千金の値となるほどの美しさであった。

 だが、フィーリアの表情は美しい衣装とは裏腹に暗く沈んでいた。
 無理もない彼女はこれからどうなるか分からない。この結婚式さえ終われば、宰相にとってのフィーリアの価値はなくなるのだ。
 よくて、幽閉、最悪、殺される可能性も出てくる。フィーリアの命は宰相の命令で簡単に吹き消される灯となっていた。
 ヴィンフリートはなにか声をかけようとした。しかし、フィーリアを慰める適当な言葉を見つけることは出来なかった。

 

 「ヴィンフリート、この衣装似合いますか」

 突然、フィーリアが話しかけてきた。

 「ええ。とても似合っております、殿下。確か、特注して作らせたと聞きましたが」

 差しさわりのないことしか言うことができない自分をヴィンフリートはこのときひどく呪った。フィーリアはそんなヴィンフリートの心情を読んだかのように微笑んだ。

 「宰相殿が、このように衣装をあつらえるのは最後になるだろうからせいぜい贅沢をするようにとおっしゃって。エクレールと一緒にうーんと高い買い物にしましょうと言ってこの衣装にしましたの」

 そういうとフィーリアは立ち上がった。

 「この生地はノーストリリアの最新もので、このティアラの宝石はゲルツェン産の一級品です。細工だって今、人気の細工師に依頼したものですから。それから…」

 「もう、いいのです」

 ヴィンフリートは王女の言葉を遮り、その華奢な体を抱きしめた。幼いころ抱きしめて以来、触れた体は、震えていた。

 「もういいです。私の前で強がる必要はありません」

 だれにもこんな彼女を渡したくなかった。この部屋に来るまでこの結婚を受け入れていた。これは負けたものの定めであり、仕方のないものだと。

 だが、フィーリアと会ってその理性は脆くも崩れた。こんなに必死に堪えようとしているフィーリアを無視することはできなかった。

 「ごめんなさい。ヴィンフリート。せっかく手伝ってくれたのに負けてしまって」

 「私を責めないのですか。私がもっとしっかりしていれば勝てたとお思いになられないのですか」

 フィーリアは首を振った。王の試練に敗れてもフィーリアはけっして誰かを責めることはなかった。
 負けた日からフィーリアは宰相の預かるところとなり、侍女のエクレールでさえ会うことは容易ではなかった。だが、伝え聞く限りフィーリア取り乱すことも勝者の宰相にあたることもなかった。ただ、粛々と宰相の言葉に従う姿を遠くから見ることしかヴィンフリートにはなかった。

 「ありがとう、ヴィンフリート。あなたがいてくれたから王の試練をやり遂げることができました。私が、不甲斐ないばかりに負けてしまって。シルヴェストは大丈夫ですか。私を庇ってくれましたから何かされたりしていませんか」

 「いいえ。父は大丈夫ですよ。ただ、もはや隠居をするようで弟にすべてを譲ると言っていました」

 「そう、よかった……」

 ヴィンフリートはフィーリアの安堵する表情を苦い気持ちで見ていた。


 ヴィンフリートは宰相から結婚式の前日に呼び出された。宰相はフィーリアが取引を持ちかけたことをヴィンフリートに話した。
 明らかに、ヴィンフリートの心中を図るために話していることが分かった。故に、興味がないという態度を取った。
 宰相はヴィンフリートの態度を見ると高笑いをした。ひとしきり笑ったあと、テーブルに置かれたワインを一気に飲み干した。

 「けなげだと思わんか。自分の身が危ういというのに他人の心配をするなんぞ滑稽を通り越して愚かだ。あの娘は、こう言った『自分の味方をした人間にけっして手を出さないでほしいとその条件を飲んでくれるのなら自分はどうなってもよい』と。」

 宰相は、本当に愚かだともう一度言うと、手を払った。それが、ヴィンフリートに退出を命じることであり、用はないということを如実に表した。

 ヴィンフリートはあえて取引のことについて知らない振りを通した。それが、フィーリアの尊厳と彼女なりの最後のけじめを尊重することになると自分に言い聞かせた。

 「これでもう、何も思い残すことはありません。穏やかな気持ちで今日を迎えることができます」

 フィーリアはヴィンフリートの腕の中から離れた。フィーリアが離れるのが名残惜しくヴィンフリートはその腕を捕えた。

 もう全ては遅い。自分にもっと勇気があり、無謀であったらこんな彼女を見ることはなかったのだろうか。愚かに、今のように彼女の手をとり、自らの心が命じるまま逃げ出せばよかったのか。

 すべては、仮定であり、その仮定をフィーリアはけっして望まないだろう。

 だが、願いたかった。仮定であろうと彼女に恨まれようと自分がこのような彼女の姿を見たくなかった。

彼女を幸せにしたかった。それだけを願って今まで生きてきた。そのために学問も修めた。フィーリアを守り、幸せにするためだけにヴィンフリートは生きてきた。

「幼いときを思い出しますね。あなたはいつも私の手を引いてくれました。でも、これからは自分のために生きてください」

フィーリアは自らを捕える手をそっと外した。

頃合いを見計らうかのようにドアを叩く音がした。式が始まることを告げに侍女がフィーリアを迎えにきた。フィーリアは身だしなみを整えるとテーブルに置かれたブーケを手に取った。

 「ヴィンフリート、私はあなたを愛していました。だから、どうか、幸せになってください」

 フィーリアは振り返らずその言葉を残し、部屋を出て行った。


 ヴィンフリートは一人、部屋の中で泣いていた。今まで、泣けなかったこと、そして今、去っていった、愛する女性の分まで泣いていた。彼女は泣くことは出来ないから彼女の分まで泣こうと。

 「私は、本当に愚かです。あなたを忘れることは出来もしないのに忘れる振りをしようなど。本当に私は愚かでした」


 教会の鐘が式の開始を告げるために高らかに鳴り響く。





 そう、これから始まる受け入れがたい悲劇の幕開けを告げるために。