05.散り散りに舞った物語 T 訪問者

 「千富さん、貴方を御母さんのように思っていました、……だから最後に御話します。私は正様をお慕いしておりました」
 目の前の子は泣きながら、私のそう告白しました。
 言葉と共に流れ落ちた涙を私は生涯忘れることはできません。必要なこととは言え、不幸にしてしまう子を。
はる。娘を失ってから初めてもう一度娘を持ったと思える子でした。
 始めは本当に要領が悪い、できない子でした。はるよりも早くに使用人となった、たえは非常によくできる子であったため、余計にそのように感じてしまったのでしょう。
 ですが誰よりもこの宮ノ杜を変えてしまった子でもありました。
 できれば正様とはるを一緒にさせてあげたかった。
 本当の子供のように感じた子であったから、なおさらその思いは強くありました。
 しかし現実は大変、非情で無慈悲なものでした。


「あのう、千富さん……」
 使用人の一人が躊躇いがちに声を掛けてきた。
 すでに使用人頭をたえに譲り、私は前当主の玄一郎様以外のお世話をすることはなくなっていました。玄一郎様は当主となった正様にお屋敷を譲り、兄弟やご自身は別邸に居を移してしまったため、私も本邸に足を運ぶのは最近たいへん稀になっておりました。
「なんですか?」
「たいへん申し上げにくいことでして、たえさんもいなくて……。私どもでもどう対処したらよいのかわからなくて」
 はっきりしない言い方をする使用人に私はため息をつきました。その態度に渇をいれるように、「はっきりと言いなさい」と叱ると、使用人はびくっと体を震わせ、今度ははっきりと言葉にし始めました。
「見知らぬ子供が訪ねてきているのです。他の者が何度か追い払ったようですが、話を聞きたいとの一点張りで、困っているのです」
「浮浪児ですか?」
「そこまで身なりはひどくないのですが、どうやら以前母親がこの屋敷に勤めていたそうで、できれば母親の実家に連絡を取りたいので何でもよいから教えてくれと」
 ほとほと困った様子の使用人を見ると、子供は粘っているのでしょう。本来ならたえがうまくあしらうなり、対処をするのでありましょうが、たえは別件で数日留守をしていました。
 私は大きくため息をつくと、自分が相手をするので、裏口から使用人宿舎に来るように指示をしました。

 私が宿舎の自室に戻ると、ほどなくして使用人が部屋の扉を叩きました。
 伴われてきた子供が入ってくるなり、私は思わず、立ち上がってしまいました。
 宮ノ杜に仕えて長い私があれほど動揺したのは後にも先にもこの時だけでしょう。
 あのときほど神や仏を呪い、そして敬ったこともありません。
 私は動揺を隠すように、連れてきた使用人をすぐさま下がらせました。きつく他言無用と言い含めて。
 「母親のことを聞きたいとのことですが?」
 私は冷静さを取り戻すかのように声をかけました。
 まだ10歳くらいの男の子でした。
帝都に出てくるための精一杯の晴れ着だったのでしょうが、田舎から出てきたことが歴然の衣でした。ただの子供ならここまで使用人が言いにくそうにし、追い払えないこともなかったでしょう。こんなにまでも似てしまうとはと、私は少年の顔をまじまじと見つめていました。
「と、突然このようなところに押しかけてしまってすいません。僕の名前は浅木潤と言います」
「御母上のことを知りたいとのことでしたが?」
「はい。先日、僕は母を亡くしました。すでに父は僕が生まれる前に亡くなったとのことで、身寄りがありません。これまでは母が女手一つ、僕を育ててくれました。母はあまり自分のことを話したがらなかったし、村のものではなかったから、何も分からなくて」
「御母上はいつ亡くなったの?あなた、今は?」
「母は半年前に流行りのスペイン風邪で。身寄りのない僕でしたが、学校の成績を知った豪農の方が書生として面倒を見てくださると声をかけて頂きました。幸い援助してくださる方がいましたから、これからはそこに御世話になろうかと考えています。しかしそこの御主人様がどんなことがあれ、母の家族には母が亡くなったことを伝えるべきだとおっしゃってくれて、思い切って母の家族を探すことに決めたのです。母の遺品の一つに、日記があって、そこにはこの御屋敷で働いていたことが書かれていましたから、ご迷惑だと思いましたが、何でもいいのから教えて頂きたいと思い、御伺いした次第です」
 潤という少年の口からはるが死んだと言われて私は声が出ませんでした。
 はるが死んだこと以上に、目の前の少年も私の心を大きく苛みました。
 この少年があまりにも正様に似ておりました。理知的な瞳も顔かたちもはるではなく、正様に本当にそっくりで、ただただ悲しくありました。
 
 正様が当主の座と引き換えに政略結婚をなされたことを私は別段驚きもしませんでした。子供のときより面倒をみてきた身から、不器用なところが御有りでしたが、なによりも実利を重んじる方であったため、そのような選択をなさったことは当然であったと思いました。
 正様とはるとのことは薄々感づいておりましたが、独身時代の遊びであったと高をくくっていました。
 ですが、それが間違いであったことを知ったのは皮肉にも、奥様から相談されたことが切っ掛けでした。
『正様には別に思われている方がいる。それは私、ひいては実家への裏切りです』
 奥様は泣きながら私に訴えました。
 私は奥様の言葉にやはりと思いました。正様は結婚してから特に御屋敷に戻らない日が増えました。別に愛人などがいると気付いてもおりましたが、夫婦関係に口を出すことは躊躇われていました。
奥様は政略結婚でありましたが、正様を本当にお慕いしていました。終始、打ち解けない正様を責めることもなく、自分が悪いと思いつめてもおりました。
なんとか愛してもらいたい。そう願ってやまないのに、他の女性の影を知って、取り乱してしまったのでしょう。
 このままにはしておけない。
 私は奥様にその女性と話をつけて、正様を別れて頂くように手配をします。奥様は何も知らなかったとするようにと言い含めました。
 私はその女性の正体がはるだと全くと言っていいほど考えておりませんでした。きっと実家に帰り、すでに結婚しているのではないかとさえ思っていました。
 はるが住んでいたのは、帝都の少し外れの静かな場所でした。富豪の第二邸が並ぶ一角に御屋敷はありました。
 私が訪ね、屋敷からはるが出てきたとき、ああ、正様は何と不器用な方だと納得しました。
 はるは私を室内に通すと、すでに事情を察しているようでした。まるで夢が終わったかのような表情をしておりました。
「私が来た理由は分かっていますね、はる」
「ええ、本当にすいません、千富さん。私がしっかりしていなかったばかりに、正様にも千富さんにも、そして正様の奥様にも本当にご迷惑をかけて」
 突然、はるは床に手をつき私に土下座をしました。顔を伏せておりましたが、その目から止めどなく涙が流れ落ちていることが容易にわかりました。
 私ははるに寄り添いそのようなことをする必要はないと言い、ソファーに座らせました。私もとなりに座り、はるが泣き止むまで寄り添い、そして背中を擦りました。
「分かっていたんです。こんなことをしてはいけないと。正様には帰るべき場所がある。愛すべき人がいると。でもだめでした。正様が私の住み込み先の工場に訪ねていらしたとき、私は迷わず、正様の胸に飛び込んでしまったのです。先がないのに、夢だけあるのは本当に辛かった。でもそれでも私は……」
「もういいのです、はる。でも分かっているのしょう?」
 私は子供を言い含めるように声を掛けました。それがどんなに残酷であったかを、もっと私は知るべきだったと思います。
 はるはこくんと頷くと、「分かっています」と答えました。
「千富さん、もう会えないから言います。これはきっと正様への気持ちを置いていくために私にはどうしても必要なことなのです。私の気持ちを聞いてくれませんか?」
「あなたにむごいことを強いる身です。何でも言いないさい。私だけが心に留めておきます」
 「ありがとうございます」というと、はるは頭を下げた。下げた拍子に零れた涙がまるで雨音のようにぽたぽたと音がしました。
「正様に求められて本当に私はうれしかった。わざわざ私を迎えにきていただいて、私はもはや抗えないのだと思いました。ここでの生活は嬉しさと悲しさ半分の日々でした。そして初めて罪深い身であることも実感できました。いつも正様がここを出て行かれるときその背中に縋ってしまいそうでした。『もう行かないで。私を妻にして』と。
また奥様と正様があまりうまくいっていないことも私はいつしか喜んでいました。そして夢想するようにもなったのです。私が正様の妻になれるのではないかと」
「女で、本当に愛している人がいるのなら当然夢見ることです」
 はるはかぶりを振った。「それは違います」と小さな声で否定するはるが哀れでしかたありませんでした。
「でも千富さんが来てくれて私の夢もちゃんと終わります。あるべき場所に戻る日が。
 千富さん、貴方を御母さんのように思っていました。
だから最後に御話します。私は誰よりも正様をお慕いしておりました」

 はるはその日、正様と別れることを同意してくれました。
 酷なようでありましたが、念書も書かせ、別れる条件なども取り交わしました。
 はるは何もいらないと言っていましたが、こちらで住む場所や当面の生活費のことも話しました。
最後にはるは「はい」と頷き、私は屋敷を後にしました。それが今生、最後の別れとなるとは思いも寄りませんでした。
 はるは私が訪ねてすぐ、あの屋敷から姿を消してしまいました。なにも受け取らず、正様にも何も言わず、忽然と。
 正様は奥様が原因と考え、それはたいそう奥様を責めました。
 見かねた私は、奥様は関係ありません、私が処理しましたと言いました。
 奥様に危害が及ばないように、はると取り交わした念書も見せました。
私はあのときの正様の御顔を生涯忘れることができません。誰かをあれほど憎み、そして愛する者に永遠に去られたことに絶望するということを初めて他者を通じて知りました。
その後も正様は、はるを必死になって探しておいででした。
ですが、どんなに手を尽くしてもはるを見つけ出すことは叶わなかったようです。果てはすでにこの世を去ったのではないかを御考えになられ、身元が分からない死体などからも探していたようです。
それは突然のことでした。ある日を境に正様は、はるを探すことをおやめになりました。何がきっかけかはわかりません。それからというもの奥様にも優しくなり、そして奥様との間に御子も儲けられました。
今ではよき宮ノ杜の当主、よき夫、そしてよき父となっておいでです。
正常になった今、過去の影が過るのは好ましくありません。私はできればこの子を実の父……正様に合わせてあげたかった。
私は後悔と憐憫を抱えながら心を鬼にして、はるの子である潤に正様にことを教えませんでした。はるの実家のみを教え、人目に付かないように屋敷から出しました。
そして二度とこの御屋敷には来ないと約束させました。
潤は身分ある場所に自分のようなものが来たことが外聞につながるとでも考えたのでしょう。二度と来ないと約束し、また決してこちらに来たことも他言しない、迷惑もかけないと言い、深々と頭を下げて帰りました。
潤が去ったのち、私は自室に戻ると一気に体に力が抜けるように倒れこみました。
二度も罪を犯したということ。
その事実がとても辛くありました。

 
あとがき
 正のBAD後、千富視点の御話です。
 本来は一話完結にしようかと思いましたが、三話くらい思いついたので、急遽変更となりました。
 これと同時に、正good EDにつながる話も制作中なので、HAPPY EDとBAD EDを同時に書くという荒業をしています。
 悲恋好きな遼ですが、今回はまあひどくない話にする予定です。
 すでにはるちゃんが死んでいるので十分、ヒドイですが、救済もする……たぶん。
 次は、オリキャラの正様の奥さまの独白です。
 もう少しお付き合いくださいませ。