03.書き換えられた物語  T.昼下がりの思いつき

  うららかな日差しが降り注ぐ午後、日本有数の財閥総領である宮ノ杜玄一郎は読書に勤しんでいた。
 まだ三月に入ったばかりで、肌寒い日が多かったが、本日は打って変わって晴天。
彼の部屋に面したテラスに出て読書をしていても風邪をひくような心配はなかった。
 サイドテーブルには3冊ほど本が積まれていた。
 彼を知る人物ならきっとそれらの本は、経済書や情報書などであろうと思うだろうが、意外なことにそれらの本は大衆向けの雑誌であった。
 玄一郎自身、日々研鑽のためいろいろなジャンルの本を常に読んできたが、意外にも好みの観点からいえば、恋愛物を好んだ。
 本日も最近、評判の小説家が発表したばかりのもので、身分違いの恋を描いたものだった。
 いくら自由恋愛が叫ばれてきた昨今であっても、恋愛や結婚が自由になったわけではない。
 四民平等が唱えられ、身分の差がなくなったとはいえ、やはり人の間には差というものはある。
 金持ちと貧乏人。
 大人と子供。
 男と女。
 少し考えただけでもこれだけのことが浮かぶ。
 自由にならないことは人の欲望を生む。
 それゆえに、陳腐とも言える使い古したネタであってもこのように評判を集めるのであろう。

 玄一郎が手に取っている小説はまさに使い古したことを扱ったものだった。
 小説の主人公は裕福な家の御曹司。
 幼いころより家の期待を一身に背負い、またそれを叶えるだけの能力をもった青年として描かれている。
 帝大を卒業後、官庁に出仕し、出世コースを邁進し、とある有名政治家の娘を許嫁としていた。
 主人公は恵まれた人生に幾ばくかの不満を感じつつも、それを謳歌していた。
 だが彼の前に、一人の女性が現れたことで人生は一変する。
 彼の屋敷に雇われた使用人の娘。
 娘のひたむきな姿勢にやがて心ひかれた青年は、娘を愛するようになる。
 しかし、身分の差、許嫁のいる身、家の意向など彼らの間には高い試練が聳え立っていた。
 それらが青年を苛み、苦しめていく。
 
「玄一郎様、そろそろお茶にしてはいかがですかな?」
 使用人頭の千富を従え、執事の加賀野が声をかけた。
 本から目を上げると、そうだなと玄一郎は答えた。
 主の了承を受けると、加賀野はサイドテーブルにあった本をてきぱきと片づけ、千富は片づけられたテーブルにお茶の用意をした。
「玄一郎様、本日はどのような本をお読みだったのですか?かなり熱心にお読みになっていらっしゃいましたが」
 加賀野はカップに紅茶を注ぎながら、質問をなげかけた。
「なんのたわいのない話だ。
 身分違いの恋というものだ」
「身分違いの恋ですか……?」
 意外そうな声を発したのは千富であった。
 玄一郎の趣味を知っている加賀野はあまり意外ではなかったが、千富は玄一郎がそのような話を読むことが意外であったらしい。
「そう驚くこともなかろう。
 儂とてこの手の話を読むこともある」
 思い返せば、目の前にいる主人もある意味、小説の題材になるたる人生を歩んできた。
 それは彼の「いろいろな性質の息子」を持つという、目的から様々な階級の妻を迎えた。
 その結果、かなりややこしい家族をもつことにもなったのだが。
「このたびの話は、どのような結末を迎えたのですか?」
 助け舟を出すように、加賀野が玄一郎の意識を逸らした。
「まだ最後まで読んでおらんから、結末はわからん。
 しかし……」
「何か懸念が……」
「結末は平凡な気がする。
 期待の作家という割には面白みがない。
 儂ならもっと…」
 もっとと、言いかけて玄一郎は突如として口を噤んだ。
 言いかけた言葉を飲み込んで、沈黙する主に二人の使用人は怪訝そうな顔をした。
「身分違いの恋とは……、確かに陳腐すぎるテーマだ。
 だがそれゆえに、人は興味を惹かれる。
 面白くないのなら、面白くすればよい」
 何の話かよく理解できない二人は余計に困惑した。
 しかし使用人の二人の困惑を余所に玄一郎は自らが考えたことを実行に移すべく頭の中で、考えを巡らせていた。

 そう目の前に恰好の素材が存在する。
 当主争奪の期限ももう間近。
 彩を添えるべく玄一郎も動かなければならない。
 彼らは果たしてどのような物語を紡ぎ出すのか?
 玄一郎はいまだ出会えぬ興奮を想像した。

 
 




あとがき

 久しぶりの更新。それも連載ものです。
 気長に書く予定なので、ぼちぼち更新となるかも。
 今回は導入部。
 御話は動いていませんが、なにやらすでに暗雲が。