02 誰も知らない物語 V 記念写真
「なぜ日記を書かないの?」
その問いかけからはるは、再び日記を書きだした。
初めは、夫の目を誤魔化すという意味合いもあった。
夫は、優しい、立派な人物であると思う。
宮ノ杜で働き始めたころに、勇に投げつけられたような言葉を一度も投げかけられたこともない。
初めから誠実にはるを労わり、はるに心を砕いてくれる。
しかし夫が優しくすれば、するほどはるは、なぜか夫を恐れるようになった。
誤魔化すことのできない、自分を検分するような瞳。
まるではるの心が未だに勇に向いていることを責めるような気がしてならなかった。
夫に指摘されて以来、はるは欠かさず日記を書いた。
小学校の時、先生がおっしゃったように自分の言葉を書くことによって、
空虚だったはるを言葉が少しずつ動かしていった。
そっと一日の終わり、夫がいない間に日記を書く。
日記を開くと、しおりがわりにぱらりと一枚の写真が顔を覗かせる。
以前、使用人の時、勇といっしょに撮った記念写真だ。
写真など撮ったことになかったはるは、写真が珍しかった。
宮ノ杜では当たり前であり、軍属の勇は、職業柄、写真を撮ることが多かった。
「はる、貴様は写真も撮ったことがないのか?」
あきれ顔な勇にはるは頬をふくらましながら、田舎者ですからありませんとぷいと顔を背けた。
折角の逢引でありながら、はるの機嫌を損ねたと思った勇ははるの手を引いて、写真屋の戸をくぐった。
「主人。写真を撮りたいのだが」
カメラをいじっていた写真屋の主人ははると勇を見ると、
「いいですよ」と言うと、カメラの前に、はると勇を誘った。
壁にに白い布が垂れ下がり、まわりにもいろいろな機材が置かれているなか、一脚の西洋風な椅子がほつんとあった。
「お嬢さんはこちらの椅子に、そちらの男前な軍人さんはお隣に」
と主人は、はるたちを誘導した。
雇い主である勇を差し置いて、椅子に座るなどはるにはできなかったが、
勇にさっさとしろと言われ、しぶしぶ椅子に座った。
「可愛らしい奥様で。今日は何かの記念ですか?」
写真屋の主人はカメラの調整をしながら、はるたちに話しかけてきた。
「違います」と言おうとしたが、勇は奥様ということばに機嫌をよくしたのか、
主人に「こやつが写真を撮ったことがないというから」と言ってしまった。
「まだ、写真を撮ったことがない方も多いからですね。
初めての記念を当店でできるとは喜ばしいかぎりです」
主人は満面の笑顔を向けた。
そのときの緊張はいかばかりのものだっただろう。
ストロボの眩しさも、奥様と言われた気恥ずかしさも、すべては遠いものだ。
白黒の写真。
思い出はこんなに鮮やかなのに、実際はこんなものだ。
ふと目の前の写真から目を上げ、机の上の写真立てに目を向けた。
全く同じ構図の二枚の写真。
まるで鏡合わせのようにそっくりと写真立ての写真はあった。
これは結婚してすぐ、夫が「記念」にと言って撮ったものだった。
はるは同じなのに、そばにいる人間が違う二つの写真。
写真をもらったときは気付かなかったが、こんなにも似ているとは思わなかった。
過去と未来。
二つの写真がはるを見つめていた。
あとがき
今回はちょっとした閑話。
勇とはるの話なのに、3話めでやっと登場です。
是非とも、写真ネタは使ってみたくて、あの当時、写真は記念とかではよく撮られていたみたいです。
白黒だけど重みがあるというか、歴史があるというかじーんさせるものがあります。
今回は短かったですが、次からは急展開の予感。
一気に話が動く予定なので、乞う!ご期待。