02 誰も知らない物語 T 母の日記


 ※注意
  オリジナルキャラが出てきます。ご注意ください。




 母の日記を見つけたのはとても偶然のことだった。それは書棚の奥にひっそりとしまわれ、まるで隠されるように置いてあった。
私の母は、たいへん筆まめな人で、日記をつけていることは知っていたが、長らくそのことを失念していた。
 父も私もそして弟も母の几帳面さに感心するとともに、なにを書いているのだろうと噂したものだった。
 母の日記は数十冊に及んでおり、一番古いものは母が18歳のとき、現在の私と同じ年齢のときのものであった。

 私の母はいわゆる名家の生まれではなかった。
 母の実家には数回行ったことがあるが、お世辞にも裕福とは言えず、それこそ貧しいと言ってもよいものであった。
 そのため、父の祖父は母の生まれの低さを卑しいとして、侮蔑の言葉をよく誰彼かまわず吐いていた。
 母方の祖父母はそんな貧しさとは裏腹に、大変暖かい人たちだった。
 母が里帰りをする度に、なにもないけどと言って、御馳走を用意し、また母の妹たちがよく遊んでくれた。
 
 母の日記は18歳のとき、初めて帝都に出稼ぎに出てきたときから始まっていた。
 母はあまり過去の話をする人ではなかった。
 父との馴れ初めなどは話してくれたが、父と出会う以前の話はしたがらず、自然に私は貧しかったことが後ろめたいのではと勝手に思い、結婚する以前の話を聞いたことがなかった。
 日記の始まりは、初めての帝都で、裕福な家の使用人として働き始めた母は、当初仕事にはなれないとしきりに書いていた。
お屋敷には当主の旦那様以外に、その息子が6人もおり、文面からとても難しい人達であったことが窺えた。
 特に、長男の正、次男の勇、六男の雅に母はよく苛められていたようだった。
 慣れない帝都に置き去りにされたり、不注意で割った茶碗ことから自害を申しつけられたり、果ては命じられて作った弁当を届け先で破棄されたもした。
 御兄弟たちの仲は悪く、それに加え、お屋敷では当主の発案で、兄弟たちに当主争奪戦を行わせていた。
 そのころの母の日記は、毎日が辛いとしか書かれておらず、読んでいる私も母に同情し、この3人に怒りを覚えた。
 しかし、あるときから母の日記に辛いと書かれることはなくなった。
 
 使用人頭から心をこめてお仕えすれば、きっとわかってもらえる。
 使用人も人として認めてもらえると諭された言葉が母の心境を変えたのであった。
 その日以来、母の心境は変わったのであろうか、徐々にではあるが、お屋敷の御子息たちと打ち解けてくるようになったことが日記の記事に増えてきた。

 そして日記にはある変化があった。
 日記に、母に冷たかった次男の勇という人物のことが頻繁に書かれるようになっていた。
 次男の勇。
 帝國陸軍の大佐で、気難しい人であり、当主争奪戦にも熱心に参加している。
 私はこの偏屈な人がなぜ母の日記に度々出てくるのかわからなかった。

 お屋敷勤めを始めてからの初めての藪入り。
 母に縁談の話が来た。
 母はお屋敷勤めを気に入っており、やりがいも感じ始めたときだったからか、ひどくこの縁談を嫌がっていた。
 実家に帰り、縁談を断る口実を考えている矢先、お屋敷の御子息が母の縁談相手を見にやってきた。
 母の実家を捜しあてたのは勇で、彼の手を借り、母は祖父母を説き伏せ、母は藪入り後もお屋敷勤めを続けていた。

 そのころからか、母の日記は毎日をいきいきと綴っている。
 特に私の目を引いたのは、勇という人物と母の関係だった。
 当主争奪の点数稼ぎのため、母とダンスを踊ったり、博覧会を一緒に回ったりとまるで恋人まがいのことをしていた。
 私は母のように胸をときめかせる半面、父以外の男性と結婚前とはいえ、こんなに親密であったことは娘としてはあまり歓迎できなかった。
 また母の仕事ぶりも評価させるようになり、当主付きの専属使用人となったりと母の周りはしだいに華やかになっていった。
 
 秋が終わりを告げる頃、五男の祖父であり、当時の首相が暗殺された。
 暗殺された会場で、勇が犯人に狙撃され、生死を彷徨った。
 母は、日記には勇の看病と無事を祈ることばで埋められていた。

 そしてその後、勇は母の親友のたえを自分の専属使用人にした。
 そのことが、母とたえの関係をおかしくさせ、一時、母は使用人をやめた。
 たえおばんさんは母と長年の友人だった。
 母とたえおばんさんにこのような過去があったこともまた私には驚きだった。

 年末、母は勇の専属使用人となった。
 当主の専属であった母を勇は奪い取るような形で自らの専属にした。
 そのときの母の日記は困惑の一方、勇にほのかな恋心をにじませていた。
 
 そして年明けをして、ひと月ほど経ってから、母は大けがを負ったらしかった。
 その間の日記は空白で、怪我から快癒してからの記事をみると、ひどいものであったらしい。
 母の体には大きな刀傷があったことを見たことがあり、不思議に思っていたが、このときに負ったらしい。
 母の怪我はどうやら勇と関係があったらしく、その後、勇は母と結婚すると言いだしたとあった。

 私は、このとき日記を読む手が止まってしまった。
 ここまでは母の幼い恋だとたかを括っていたが、まさか母にこのような過去があるとは思わなかった。
 母と勇は身分の差を感じながらも、着実にその恋を育んでいた。
 日記には身分が違う、一時の気の迷いだとしながらも、母は勇を愛していたことが感じられた。
 
 だがその恋の結末は実ることもないものだ。
 その結果が私であり、弟である。
 私は、この恋がどのように終わりを告げたのかを知るために、日記を読み進めた。

 当主争奪の期限を間近に控えた三月、母に突然、縁談が持ち上がった。
 お屋敷に勤めた労を賞して、当主自ら話をもってきたらしい。
 それと前後して、勇に新たなる連隊への隊長の話が持ち上がった。
 事実上の昇進の話を前にして、当主が勇と母の仲を裂こうとしていることを母は知った。
 母の日記には、勇が跪き、母と添い遂げることを誓ってくれながら、自分はこの人を裏切るのだと悔恨している。
 苦しいまでに文面からは、離れたくない、結婚したくないという言葉で埋められていた。
 できることならすべてを打ち明けたい、このまま勇と添い遂げたいと願いながらも当主にきつく口止めを命じられ、なにもいえずただ涙したとしている。
 私は母と勇がどのような形で別れたのかが見るために、最後のページをめくった。
 お屋敷勤め最後の日、日記にはそれまでと打って変わって、たった壱行の言葉しか記されていなかった。
 「私は勇様の背を見送った今日、この日が生涯忘れることができないでしょう」とそう締めくくられていた。

あとがき

 予告通り、勇の話を書いています。
 当初の予定では一話完結にするつもりでしたが、なんとなく長くしてしまいそうです。
 それでも三話くらいかな?
 一応、設定としては、BADEDのかなりあと、はるはすでに故人です。(またもやすいません)
 はるは大将の子息と結婚して、一男一女をもうけています。
 目指すは、三島由紀夫の『春の雪』ですが、彼ほどの文才が切実にほしい今日この頃です。