母の縁談(正編)
実の息子に凝視されるというのは変なものである。
じっと自分を見つめている息子にはるは何度目かになるため息をついた。
理由を聞いても「何でもない」の一点張りで、とりつくしまもない。
息子の凝視の理由を朝から考えているが、思いあたることもない。
まさか反抗期なのかとも思ったが、凝視する以外の行動があるわけでもなく、はるはほとほと困ってしまった。
一体なにが理由なのか?
はるはふと考える方向性を変えることにした。
夫の正曰く、考えにつまったときは考える方向性を変えるとよいらしい。
まず息子がこのような行動に至るようになったのはいつからか?
今日から時間を巻き戻していくと、三日前にはるの実家から帰ってきてからだと思う。
三日前、はるは一週間ほど息子を伴って、里帰りをした。
本当なら正も同行するはずであったが、仕事の都合上、どうしても外せない商談が入り、やむなく二人での帰省になった。
都会育ちの名家の息子にとっていつもながら、田舎は魔境のようなところであるようだ。
退屈そうだったので、近所の年の近そうな子供と遊んできたらと進めたのだが、息子には強烈な洗礼を与えてしまったようだ。
はるもなんともないのだが、息子は田舎の子供たちが、平気な顔して虫を捕まえたり、野蛮な遊びについていけなかったらしく、散々な目にあっていた。
かわいそうなことに卒倒しかねないこともあったようだが、幸か不幸か高すぎる自尊心でなんとか乗り切ったことによって、近所の子供たちに気に入られ、滞在中はひっきりなしに御誘いを受けた。
悪態をつきながら、それに付き合う息子も誰に似たのか、面倒見がよいというのか、貧乏くじというのか健気だと思った。
たぶんそれからだと思う。息子の不審な視線を感じるようになったのは。
おそらくだが、息子の様子が変わったのは、はるの実家でなにかあったからだ。
はるは見当を付けると早速、夫と相談するべく行動に移した。
はるから息子の様子がおかしいと相談を受けたのは、仕事から帰宅してすぐだった。
はる曰く、「母親には話したくないことかもしれないし、正さんになら話せることかもしれないから」と必死に説得された。
もう息子も思春期になるころであるので、両親に対して、言いたくないことなどあるというところであろうが、妻の必死な姿に正も「聞いてみるだけだ」と返事をした。
「なにかあったのか?」
父親と二人っきりの応接間で、不意打ちのような問いに言葉がでなかった。
「なにとはなんですか?父上?」
はぐらかそうとする様子に父は忌々しげな表情を浮かべると、「単刀直入にいう」と前置きをした。
「はるがお前の様子がおかしいという。理由を聞いても、何でもないというが、心配になって堪えんようだ。理由がなんであれ、母をあまり心配させるな」
父の真摯な目に観念するように私は肩をすくめた。
大したことではないのだが、やはり気になることは当人に聞くのが一番だ。
両親に心配をかけることは本意ではない。
「では、私もはっきりとお聞きします。父上が母上の縁談を壊したとは本当ですか?」
思ってもみなかったことを聞かれたのか、父はいつもなら考えられないような、間の抜けた顔をしていた。
母の実家に滞在中、地元の歳の近い子供と遊んでいたのだが、それを面白く思わない連中もいるのか、あるとき難癖をつけられた。
「お前の母親は金持ちの男を誑かして、正妻になったのだ!」
開口一番の言葉に私はややうんざり顔をした。事実、私が通う学校でその手の悪口など日常であった。
父は宮ノ杜の長男、母はどこか知らない田舎娘でそれも元使用人なれば、大抵の輩は下世話な想像をするものだ。
まあそんなことを口にした哀れな同窓生は下品な言葉を口にしたことを後悔させるようにしているのだが、一時の滞在場所で、しかも祖父母に迷惑をかけるのはどうかと思い、いつもとは異なり黙っていることにした。
いろいろあることないことを言っていたが、それは田舎の無教養者の言葉、私はただただあきれるばかりであった。
「では聞きますが、母のどういうところが売女なのですか?母上と父上は正式に神前で婚姻をしましたし、戸籍上もしっかりと夫婦ですよ。不倫でもないのですから、説得力に欠けます」
私の冷静な態度に口汚く罵っていた輩は黙ってしまった。
「でも、俺は知っているぞ。お前の母親には村のものから縁談が来ていたのに、宮ノ杜が断らせたって!きっと愛人だったからだってみんな言ってたぞ!」
父の縁談話は知っていたが、母の縁談話は聞いたことがなかったため、思わず息を飲んだ。それをたじろいたなどと馬鹿な判断をしたものはますます、図に乗り囃したてた。
いい加減、うんざりした私は加減もせず、コテンパンに目の前の悪童どもに毒を吐いた。
悪童どもは片づけたが、「母の縁談」が気になり、さりとて母自身に聞くのは憚れた。
そして悶々とした日々を送っていたという顛末であった。
「父上は真面目な人と思っていたのですが、母上を手篭にしていたのですか?正直がっかりです」
「おい!ちょっと待て!なぜ私がはるを手篭にしていたと断定する!」
「……父上、母上との歳の差を考えたことがありますか?それに母上の縁談話は母上が18くらいの話でしょう。田舎から出てすぐの娘を父上くらい歳の男が本気にするとはあまり考えませんよ。精々、愛人にして弄んでいると思うのが関の山です。まあ縁談を壊すくらいですから、入れ込んでいたとも考えられますが?」
「お前!」
少々、冗談が過ぎたようだ。父は青くなったり、赤くなったりと忙しい。なかなか父と遊べないのだが、これくらいでやめておこう。
「さて、冗談はこれくらいにして。本当のところはどうなのですか?母上の縁談話とは?父上の縁談は聞いたことはあるのですが、母上にも縁談話があったのですか?」
父は子供に遊ばれていたと知って、歯がみをした。
「言わんとならんか?」
「話さなくても結構ですが、私の中で父上は母上を手篭にしたとしますよ」
うっと声にもならぬ音を漏らすと、しぶしぶだが、昔語りを始めた。
「で、母上の縁談話を潰したというのは本当なのですね」
「本当だ」
「いつのことですか?」
「はるが屋敷に勤めだしてすぐの藪入りのときだった。縁談が来たのだが、仕事を辞めたくないと言っていた。はるを気に入っていた博が、縁談を阻止するとか言って、はるの実家を訪ねた。兄弟で実家を探すことになって、結果私があたりを引き当てたということだ」
「父上、そんなに前から母上のことを……」
やや呆れてしまった。この父が一目ぼれなど意外の意外であろうとは。
「勘違いするな!あのとき、はるのことなど何とも思っていなかった!使えん使用人だったし、ゴミと間違えるくらいひどくて」
「力説するところが違いますよ、父上」
さらりとひどいことを言っている。母上がこの場にいなくて正解だった。
「それでだ!はるは仕事を続けたいが、うまく両親に断る理由が見つからない。本来なら私が手を貸す理由もないところだが、はるが一生懸命な姿を見てというか、宮ノ杜の嫡男として使用人の管理として……」
「わかりました。父上は母上の真摯な御姿を見て、クラリときたというわけですね」
「今までの話を聞いて、どうしてそう取る!」
「そのようにしか、取れませんが?」
しれっと言うと、もういいと半ば不貞腐れてしまった。
「なんとも思われなかった人と結婚したのですから、それなりに気にはなっていたのでしょう?父上は器用ではありませんから、何とも思っていない女性に優しくはできないでしょうから」
決まり悪げに父は俯いてしまった。
あまり苛めるのはかわいそうだ。これくらいにしておこう。
「なぞは解けたので。父上から母上には事の次第を御話くださいね。よろしくおねがいします」
「なぜ私が!」と言い募る父上。
「やはり両親の馴れ初めとは面白いですね。いい話を御馳走様」
頭を下げると、またしても父は真っ赤になってしまった。
あとがき
ゲームを再プレイしていて、結構経ってからこの縁談イベントってどういう風な思い出になっているのかなと思って書き始めたシリーズです。
7兄弟全て書く予定。
正編は息子におちょくられるという感じです。
まあ縁談を断って、断った先の人と結婚したら、きっと怪しまれるかなと。
正の息子は口達者なイメージで、悪態をつく奴なんかコテンパンにしてそうです。