天の火で焼き尽くせ

 
                        「君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも」
                                                          狭野茅上娘子(さぬのちがみのおとめ)

 「行かないで」
 重なりあった影。
 しかし、その一つだった影は、二つに分かれ、そしてその一方が、別れゆく影を引きとめた。
 引きとめた影、それは金糸の髪を持つ美しい娘―豊葦原の二の姫であり、別れ行く影、それは夕闇のような赤き髪を持つ常世の皇子だった。
 「お願い。行かないで」
 もう一度、懇願の言葉を口にし、二の姫―千尋は、ナーサティヤを絡めとるように抱きしめた。
 もし、ここで引き留めなければもはや、二人は、二度とこのように会うことはできない。
 千尋は、それが痛いほどわかっていた。
 お互いの立場が、決して相入れることなどないのだ。現代人として、平和な世界で育った千尋でも、彼が自分を受け入れることも折れてくれないと理解できた。
 常世と豊葦原。
 二人が背負っているものはそれだけ重く、どんなことがあっても捨てることもできない。
 だが、千尋は、ナーサティヤを愛してしてしまっていた。それが涙となり、いま痛いほど胸を締め付けている。
 ナーサティヤが、千尋を抱きしめかえすことはなかった。さきほど痛いほど強く抱きしめくれたのに、ナーサティヤはただ千尋を見下ろしているだけだ。
 「満足か?」
 ナーサティヤが千尋の顎を捕らえた。千尋の目から涙が止めどなく、こぼれている。
 「なにを?」
 「私の心このように捕らえて満足か?」
 吐き捨てるようにナーサティヤは問いかけてくる。だが、その視線を千尋は逸らすことはなかった。
 「本心なの?」
 千尋の問いは、ナーサティヤの胸に吸い込まれた。もう一度だけ千尋は抱きしめられていた。
 月夜の晩であることが恨まれる。姿が見えなければ後悔などしなかっただろう。
 ナーサティヤは、千尋から離れると今度は、背を向けた。二度と彼女と道が重ならぬことを祈りながら、ナーサティヤは歩き出した。
 千尋は、崩れおちた。涙は地に落ち、吸い込まれる。
 「あなたの能力が私にほしかったわ。そうすればあなたの道を閉ざすことができたのに」
 千尋の小さな言葉を聞いたのは、月夜だけだった。

あとがき

 君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも
  【訳】貴方の行く手に続く旅路を、折りたたんで焼き尽くしてしまう天の炎がほしい

 初遙か4の話。発売前に一目ぼれしたナーサティヤにしました。彼の話を考えると、いつも悲恋になってしまう。
 愚直な性格というのはおいしいです。

 狭野茅上娘子(さぬのちがみのおとめ)
 伝不詳。万葉集の西本願寺本・紀州本などは「狹野弟上(おとかみ)娘子」とし、類聚古集・細井本などは「狹野茅上娘子」とする。「茅上」は日本霊異記・今昔物語(巻十二)に「丹生茅上」なる人物名(男性)が見え、奈良朝には珍しくない名だったか。
 万葉巻十五の目録によれば、蔵部(後宮十二司の蔵司か)の女嬬であった。天平十二年以前、中臣宅守と夫婦の契りを結んだようであるが、この時、宅守は越前への流罪に処せられた(罪状は不明)。離別の際の歌、及び配所の宅守と贈答した歌が万葉集巻十五に収められている。
以下は茅上娘子の万葉収載歌全二十三首である。参考:http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/sennin/tikami.html