一目見た面影が


  六波羅はいつもどおり宴で人の訪れは絶えない。今を時めく、相国入道とつながりを持ちたい貴族は後をたたない。
 重衡はそんな貴族たちを冷たく見ていた。重衡の兄の言葉ではないが、もはや平家は滅びる。これはどうあっても覆ることはない。源氏が挙兵する噂は、そこらじゅうしているのに多くのものは気にも留めない。それは、単にここにいる人が源氏を軽くみているのか、それともことの重要さを理解していないのか。
「平家の前では源氏などおそるるに足らんぞ」
 宴特有の酔った貴族が喚いた。それに追随して他の酔ったものがそうだとまた喚く。重衡はしなだれてくる女房をやんわりと引き剥がし、宴の席を離れた。重衡は宴の席から遠い西の対に来ていた。桜の季節は終わり、青々とした桜の葉が茂っていた。春の終わり、十六夜の月が輝く夜、重衡が出征する前の夜に会った月の姫。おとぎのように光とともに現れ、可憐な声で残酷なことを告げる。神仙かあやかしか、重衡はとりとめの会話で相手をうかがった。一つ言えることは春の夜にふさわしい姫であった。
「銀が誰だか知りたい」
 そう言って月の姫は重衡と自分を隔てる御簾に近寄った。月の光が差し込み重衡と月の姫を照らす。
 重衡は本能的に姫に手を伸ばした。触れたいと思った。だが、手が届く前に姫は光に包まれた。
「この先の未来できっと会える」
 この一言を言い残して。
 あの時、重衡は月の姫と自分を別った光を怨んだ。しかし、今となってはその気持ちは消えていた。その後の大和での行いを知っていたから、月の姫は去った。
 重衡はあの時と同じ場所に座った。今夜は臥待月。恋人を臥して待つ身、後は欠けるを待つ身。どちらも重衡のことを現しているようだった。
 重衡は月の姫と再び会うことは諦めていた。月の姫は再び会うと告げたが、もはや叶うことはあるまい。
 突然、風が吹き燭台の火が消えた。あたりは、少しずつ暗くなりはじめ、月の光のみとなった。
「月の前では所詮、私も燭台の火。平氏の権勢も月の前では無意味なのですね」
 だが、重衡は諦めながらも、こうやって姫を待つ。
「私も存外諦めが悪いのですね。それでもあなたを一目見た面影が忘れられないのですから」
 重衡は一人、輝く月に手を伸ばした。